1971
TAKURO(久保琢郎)誕生(5/26)
TERU(小橋照彦)誕生(6/8)
1972
HISASHI(外村尚)誕生(2/2)
JIRO(和山義仁)誕生(10/17)
1974
TAKUROのお父さんが亡くなる。享年38歳。
*TAKUROは大好きな祖母と離れて暮らすことに。
TAKURO夢遊病になる
1978
TAKURO、鍛神小学校入学。
TERU、桔梗小学校入学。
HISASHI、日吉が丘小学校入学。
1979
JIRO、鍛神小学校入学。
*このころJIROの将来の夢は大工さん。
TAKURO、音楽に興味を持つようになる。
*小さいときから母のシャンソンを聴いて育った。
1980
TAKURO夢遊病が治る
1981
TERU、「北海道絵画コンクール」で銅賞を受賞。
*絵を描くのが好きだった。
TERU、野球を始める。
*小学校の時の将来の夢は野球選手。
HISASHI、青森県弘前市から北海道函館市に引っ越す。
*小学校時代は転校の繰り返しだった。
1982
HISASHI、塾に通い始める。
*親にほとんど叱られたことがなかったので、塾の先生に叱られて喜ぶ。
最初は塾もつまらなく、友達もできなかったのでさぼってばかりいたが、
ある時塾で先生に「心配したぞ」と言われたのをきっかけに馴染むようになる。
1983
TAKURO、桔梗小学校に転校。
*TAKUROとTERUは隣のクラスだった。3クラスしかなかったが。
二人は此処で出逢った。
TAKUROの身長が160センチを超える。
HISASHI、父親から自作のスピーカーを貰い、音楽を聴くようになる。
1984
TAKURO、TERU、桔梗中学校入学。
HISASHI、函館市北中学校入学。
*TAKUROはサッカー部、TERUは野球部に入る
TAKURO、BOφWYの「B-BLUE」を聴いて衝撃を受ける。
TERU、町内会の「のど自慢大会」で「スニーカーブルース」を歌い3位に。
*代々小橋家は歌が上手いことで(町内で)有名だった。
HISASHI、ロック好きな悪い仲間と仲良くなる。
HISASHIのお父さんが亡くなる
1985
JIRO、赤川中学校入学。
*バスケ部に入部するが、最初の球拾いなどがつまらなくその年中に退部
HISASHI、パンクにハマル。
*セックス・ピストルズの「勝手にしやがれ」を聴いてバンド結成を決意する。
TAKURO、ビートルズのテープを700円で購入。
*TAKUROはジョン・レノンの生き方に共感していた。
TAKURO、ギターを初めて購入する。
TERU、TAKUROからファミコンを売って貰う
*一万円のファミコンを散々遊んだあげく5000円で売ったらしい
TAKURO、サッカー部を退部
*試合の前にあったビートルズのラジオが聴きたかったから
TAKURO、尾崎豊にハマル
TERU、悪い仲間とつるむようになる。無免許運転を経験。
HISASHI、宝島を愛読。「TOY」に影響を受け、ギターを購入する。
1986
TAKUROとTERU、仲良くなる。
JIRO、バイトで溜めたお金でギターを買う。
JIRO、友人と「ネクストビート」結成。
HISASHI、「TO-Y」の影響で、母親にギターを買って貰う。
1987
TERU、函館商業高校入学。
*サッカー部にはいるが、半年でやめる。その後軽音部に入るが、すぐに退部。
TAKURO、HISASHI、函館陵北高校入学。
*HISASHIは大変成績が良かったらしい。
TERU、文化祭で聖飢魔Uのコピーバンド「花とゆめ」を結成。
*もともとは部活の先輩がドラムを探していたので、未経験ながらかってでた。
その後、一日六時間の猛練習をし、ドラムにハマル。
TAKURO、コピーバンド「GUEST-APO(ゲシュタポ)」結成。半年後に解散。
HISASHI、中学時代の友人とバンド結成。
JIRO、初ライブを経験。
1988
TAKURO、TERUと他の仲間を誘ってGLAYを結成。(3月)
*当時のメンバーは二人の他に、ベースのひとしとドラムの北山(中本?)が居た)
TERU、姉の結婚式で「ずっと二人で」を歌う。
*琢郎が照のお姉さんに「美味しいもの食べさせてあげるからなんか歌って」と
頼まれて、作ったらしい。
HISASHI、友人とのバンドを「蟻」に改変。
JIRO、大谷高校入学。
JIRO、ギターとして「セラヴィ」に加入。
函館あうん堂でGLAY初ライブ(7/2)
1989
HISASHI、ギターとしてGLAYに加入。
JIRO、ベースとして「ピエロ」に加入
ライブ「AGGRESSIVE ROCK LIVE」に出演(8/27)
ライブ「ROCK SHOCK GLAY VS 道化師」を行う(10/10)
*このころからGLAYは函館で人気を獲得していく。
1990
TAKUROらの卒業式の当日、GLAYわんまんライブ「ふしだらな最後の子守歌」をあうん堂で行う(3/10)
*観客は170人
TERUの姉が結婚、「ずっと2人で」の原曲が完成する。
TAKURO、TERU、上京して凸版印刷に就職。
*寮生活をしていた
HISASHI、東京の音楽学校への入学を断念。バイトに励む。
*ゲームセンター、コンビニ、工場、工事現場など
TAKROとTERU、会社を退職(7月)
*TERUは水道工事、TAKUROは埼玉で道路工事やレンタルビデオ店のアルバイトをする
GLAYとピエロのジョイントライブを行う(8月)
*TAKURO、JIROに出逢う。TAKUROと語ったJIROはこのとき上京を決意。
浦和ポテトハウスでライブを行う(8/12)
*観客はたったの二人だった
いかすバンド天国に出演。酷評される。(11月)
1991
新宿ヘッドパワーでライブを行う(8月)
JIRO、高校卒業、ピエロのメンバーと上京する。
JIRO、印刷下請け会社に就職。
*JIROはかなりまじめだったので、このまま続けていたら良いとこまでいけそうだった。
ピエロ解散。JIROは知人とバンドを組む。
1992
ワンマンライブを行う。観客40人(1月)
JIRO、印刷下請け会社を退職。建設現場のアルバイトを始める(1月)
ドラムとしてAKIRA加入
ライブハウスでのトラブルで犯人と勘違いされる。
*TAKURO、このことで函館に帰るといい、TERUに叱咤され思いとどまる。
シンゴ、TAKUROとの確執で脱退。
新宿ロフトでライブを行う(8月)
JIRO加入(10/31)
*横浜CLUB24でのLIVEにて初参加
自主制作のテープを販売(10月)
*「DANCE VISION」「GREATEST SHADOW」「SPEED POP」
JIROが精力的に売り込みを。
ライブ「魔女狩りナイト」がスタート(11/21)
*「牛組」と名乗っていた。
1993
LIVEにYOSHIKIが訪問、エクスタシーレコードと契約(10/17)
*その時のLIVE会場は市川CLUBデュオ
レコーディング開始(12月)
1994
デビューシングル「RAIN」を発売し、デビュー(5/25)
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